活脳鍼開発までの道のり

●中国での鍼灸研修
 当初私は東京のある病院で放射線技師として医療の現場で働いていました。やり甲斐のある仕事ではありましたが、治療の効果がなく亡くなる患者さんもあり、何年かたつうちに、西洋医学の限界を感じるようになっていました。ちょうどそのころのことです。最新鋭の治療器をもってしても改善がみられなかった患者さんがいました。担当医でさえホスピスへの転送を考えていたほどです。ところが、病院での治療とは別に受けていた鍼灸治療により奇跡的に回復したのです。
 これは、私に東洋医学の底力を実感させる大きな出来事でした。自分も東洋医学を学びたい。東洋医学で病気で苦しむ患者さんの手助けをしたい。そんな思いが日々強くなり、鍼灸をめざすことにしたのです。

 その後、私は鍼灸学校に入り、鍼灸師の資格を取得し、数年間鍼灸の大家の元で修行を積んだのち針灸院を開業しました。ひとくちに鍼灸といっても、日本のなかでもいくつかの流派があり、微妙に治療法が異なります。また、日本と中国では、さらに違います。日本の鍼灸は鍼を刺す際に痛みが軽いなど、長所がたくさんありますが、なんといっても鍼灸の本場は中国です。また、鍼灸が西洋医学に押されて医療の中心から外されている日本と異なり、そのころ中国では西洋医学と同等の地位を保ち、鍼灸の新しい治療法が盛んに研究され、日常の医療にどんどん取り入れられていました。開業して多くの患者さんを治療しながら、「一度は、中国の鍼灸を学んできたい」という欲求が私をとらえて放しませんでした。

 そうこうしているうちに、中国に研修する機会が訪れました。当時、中国では、鍼灸のすばらしい効果を世界にアピールするという目的もあって、各国から研修生を募る計画が進められていました。そして、そのテストケースとして、短期の研修生を受け入れたのです。数週間の研修では学べることは限られますが、一度だけではなく、何回でも自分が満足できるまで研修ができるというのです。留守を片腕の鍼灸師に任せ、中国へと旅立ったのでした。
 私の研修先は、中国東北部・吉林省にある長春中医学院附属病院でした。中国では、北京や上海といった大都市を除けば、各省に医科大学はせいぜい二つぐらいしかありません。一つは西洋医学を中心とした医科大学であり、もう一つは鍼灸などの中医学(中国医学)を中心とした医科大学です。卒業して免許を取得すると、前者を西医、後者を中医と呼びます。

 もっとも西洋医学と中医学に専門が分かれているといっても、両者とも専門科目だけを学ぶわけではありません。中医は全授業3割程度は解剖学や生理学、血液検査・心電図・レントゲン診断学などの西洋医学の勉強に費やされます。西医も学生のうちに中医学を履修することもありますし、卒業後鍼灸や中薬学(漢方薬)の研修を義務化している省もあります。したがって、中国の医師は、自分の専門外の分野についても一定の基礎知識があり、患者に応じて、より適切な治療法を選択することができるのです。また、患者を診察して中医のほうが効果的だと思えば、西医は抵抗なく中医を紹介します。専門が西医であれ中医であれ、医師は同じように尊敬され、患者も自分の症状に合わせて、西医と中医を上手に使い分けます。
 しかも、日本のように「鍼灸は肩こりや腰痛のとき」といったかたよった観念はありません。生活習慣病をはじめ、皮膚病からガンまで、中国人にとっての鍼灸の守備範囲はきわめて広いのです。

●眼鍼との出会い
 中国で私を指導してくださったのは、長春中医学院の教授であり附属病院の院長でもある劉冠軍先生でした。鍼灸を学ぶ者であればたいていの人が知っている『脈診』をはじめ、数多くの編著書がある大家です。また、日本の鍼よりもずっと太く、それだけに痛みも感じやすい中国鍼を使いながら、患者に痛みを感じるすきを与えない治療技術は神技的でもありました。
 講義の場では峻厳な先生でしたが、大学を離れれば気さくに若い学生との雑談に加わる温厚な方で、正規の講義では聞けない鍼灸のよもやま話は、私の大きな楽しみでした。そんな雑談のなかで、ある日劉先生が「目の周りの皮膚に鍼を刺す珍しい治療法がある」という話をしてくれたのです。鍼灸は基本的に経験の医学なので、個々の医師が独自に考案したさまざまな治療法があります。私も本や人の話でいろいろ聞いていましたが、目の周囲に刺す、というのは知りませんでした。
 興味津々、その治療法についてたずねる私に、先生もふと心が動いたのでしょうか。「明日骨科の老師に眼鍼の治療を披露させるので見学にこないか」といってくれました。骨科とは日本の整形外科のことで、老師とは尊敬に値する経験豊富な先生を意味します。こうして、眼鍼と出会うことになったのです。

 翌日、骨科の老師に連れられて、治療室に入りました。患者さんは半年前に脳梗塞で倒れ、その後、ベッドから起き上れないとのことです。実際、老師が「ひじを曲げてみてください」といっても、努力しているのはわかっても腕は一向に動きません。指先一つ動かないのです。何度か同様のことを試した老師は、軽く頷きながら、おもむろに鍼を手にして、患者さんの目の周りに刺し始めました。
 鍼を刺して15分ほどたったころ。老師が先ほどと同じように「ひじを曲げてみてください」というと、なんとひじが曲がりはじめ、45度ほどの角度がついたのです。私は、唖然としました。
 眼鍼の驚異的な効果を目の当たりにした私は、後日、劉先生に眼鍼を教えてくれるようお願いしました。先生は快く承諾してくれ、ツボの位置や鍼の刺し方、適応となる症例のいくつかを教えてくださいました。しかし、詳しい理論や応用法などについては、「骨科の老師も私も専門ではないから、これ以上のことは教えようにも教えられない」とのこと。「すまないが、あとは自分で勉強してみてくれ」という先生に感謝しながら、大学の図書館や専門書店を駆け回りました。
 ところが、探してみると、眼鍼に関する文献がほとんどないのです。これほど効果のある鍼法なのに……と不思議に思いましたが、なければ仕方ありません。とるべき道は二つ。諦めるか、得られた情報をもとに自分で研究し修得するかです。もちろん、私が選んだのは後者の道でした。

●日本人に合わせた眼鍼を工夫
 鍼灸をマスターするには、何よりも実際の症例をこなす必要があります。私は、年に幾度も日本と中国を往復しながら、日本で眼鍼を試し、その間、疑問点があれば、中国で劉先生に相談しました。
もちろん、「試す」といっても、けっして患者さんを実験台にするわけではありません。眼鍼そのものは中国で確立された治療法なので、劉先生が教えてくださった範囲で眼鍼を行ない、実技をみがき、応用範囲を広げていったのです。
 幸い、日本での治療成績は極めて高いものでした。ただ、日本と中国では状況が少し違うので、その面での工夫が必要でした。

 中国と日本では、まず鍼の太さが違います。中国の鍼は日本のものよりもはるかに太く、鍼を刺す際の痛みが強いのです。また、太い鍼は内出血を起こしやすく、中国ではまぶたに内出血の蒼いあとができている患者さんが少なくありませんでした。一般に中国人は日本人よりも痛みに対する耐性があるようで、多少痛くても、内出血が起きても平気です。
 しかし、日本ではそうもいきません。日本人の患者さんは痛みに敏感なので、痛みで顔が動いたりすれば、鍼を安全に刺せなくなってしまいます。そこで日本の鍼を使用できないかと考え、実際に試してみると、中国鍼と同じ効果が得られ、さらに期待どおり痛みや内出血を防ぐことができました。
安全性という点では、眼鍼を脳卒中後遺症に対する治療だけに限定しました。眼鍼には脳卒中以外にもいろいろな病気に効くツボがありますが、なかには鍼を刺す角度が難しく、患者さんが動いたりすると危険なツボもあります。その点、脳卒中のツボは危険がないので、脳卒中後遺症だけに限定した治療法として眼鍼を使うことにしたのです。
 また、鍼灸では「得気」ということを重視します。得気というのは、鍼を刺したときに、刺入点からしびれとも痛みともつかない特有の感覚が全身に伝わることです。これは、治療が効果を発揮しているあらわれとされ、得気が得られない場合には鍼を刺す場所や刺激方法を変えるなどします。しかし、私が多数の患者さんに眼鍼を行なったところ、得気がなくても十分な効果がありました。「得気にこだわる必要はない」というのも、私の眼鍼理論の特色の一つです。

●眼鍼から、さらに効果の高い「活脳鍼」へ
 眼鍼の実際的な治療法を工夫しながらも、常に私の脳裡から離れなかったのが「なぜ効くのだろうか?」という疑問です。これは、眼鍼と出会って以来、現在でも続いています。鍼灸を科学的に解明する研究はまだ始まったばかりで、4000年の歴史をもつ鍼灸を科学的に説明できるようになるのは、まだまだ先のことでしょう。
 ただ、私なりの研究と治療経験から、ある程度の推測はつきました。ひとことでいえば、目の周囲に鍼を刺すことによってその刺激が顔面に分布する神経を介して脳に伝わり、その結果、脳細胞の働きが活性化するのではないか、ということです。目の周囲には、脳につながっている神経が、無数に張りめぐらされています。
 私の推測が正しければ、まぶた以外にも脳卒中後遺症に効くツボがあるかもしれません。そう考えて着目したのが唇です。唇周辺の神経は、目の周り以上に脳とのつながりが強いのです。そこで眼鍼とあわせて唇周辺にも鍼治療(唇鍼)を行なったところ、予測どおりその効果はすばらしいものでした。以来、唇のどのあたりに鍼を刺すのが最も効果的なのか、研究を重ねて生まれたのが、「活脳鍼」なのです。

「活脳鍼」の作用と効果を詳しくはコチラ>>

●一人でも多くの人に活脳鍼の福音を
 活脳鍼は、中国ですでに効果が認められている眼鍼に、私が考案した唇への鍼治療を組み合わせたものです。眼鍼単独でもその効果は十分に高いのですが、その効果と安全性をより高いものにしたのが活脳鍼なのです。とくに脳卒中後遺症のように、西洋医学では治りにくい病気に対しては、活脳鍼は大きな福音となるはずであり、実際、これまでの治療例で期待どおりの効果が上がっています。
 鍼灸などの東洋医学を敬遠する人がしばしば指摘するのは、「なぜ効くのかわからないようなものを信用できるわけがない」ということです。
 前述したように、鍼灸が、なぜいろいろな病気に効果を発揮するのか、その疑問は徐々に解明されつつありますが、まだまだ未知の領域です。しかし、患者さんにとって最も重要なことは、なぜ効くのかよりも、本当に効くのかということではないでしょうか。

 確かに効果のメカニズムを科学的に裏づけることは、治療を安全・適切に行なうために重要なことではあります。しかし、せっかく効果があることがわかっていながら、科学的に理論づけられなければその治療が行なえないというのでは、病気を治すことが大前提である医学では本末転倒です。
 そこで、可能な限り活脳鍼の作用機序の解明に努めました。つまり、光トポグラフィーや脳波、筋電図などの検査で、活脳鍼の効果を調べてみたのです。病院勤務の経験もあり、放射線治療学や早稲田大学で基礎医学を学んだので、科学的な裏付けをとることも責務と思ったからです。
 まだまだ「証明」にはほど遠いものですが、得られた結果はきわめて興味深いものです。脳卒中の手足の麻痺の他、複視や同名半盲、言語障害などに対しても凡その推論が立てられたのです。

 今後、さらに研究を重ねながら、より多くの人に活脳鍼のすばらしさを体験していただき、人生の半ばで脳卒中後遺症のために体が不自由になった患者さんや、その家族の苦労を少しでも軽減したい。それが、私の願いなのです。

自書より抜粋